夏が終わった気がする

書きたいことが上手く纏まらないが。

 

一つ一つは小さいが不愉快なことが多く、ここ数日参ってた。精神的にも肉体的にも。

 

9月になる。ゴミを出した。2回洗濯した。皿を洗った。そういう月にしたい。

 

やりたいことが見つからないのか。やりたいことなど山ほどあるが実現性に欠ける。時間さえあれば、というのがほとんどだが時間を空けるのは己の力量。

 

不安定だった時期からちょっと抜けたか?

 

 

 

 

日記など意味が無いので徒然なるままにスタイル

先日友人と議論していたのだが、友人らと飯に行く時ファストフードを避けるのは何故なんだと。チェーン店を避けるのは何か気まずさでもあるのか、ということである。

 

特別な相手とは特別な空間で、個人では量産された空間で過ごすというこの直線上の中間に、「普段の連中とは個人店で」という位置づけがされているようだ。

 

じゃあ仲が深まるとどうなるか

恋人になったらどうなるか

マックに行く時もありゃ高級レストランに行く時もあるだろう

もちろん個人店でカツ丼食ってても良いわけだ

逆も然り

個人でどこいったって良いだろ

 

つまりは直線は実在しない。

 

ここで私が言いたいのは、

シンプルにいうと、

 

 

みんなでマック行きたい

 

 

以上だ。

パワー

昨日は送り火があったのに、すっかり記し忘れていた。端的に、ピクチャレスクだった。

 

今日はパワーが漲っている。

蓄えられたおかげだ。

燃料は足りてるから明日の試合に臨もう。

万能感とはまた違う、否定と肯定の間にある高揚、いわゆるワクワクが凄いことになっている。

またでかいハードルが来たってわけだな。跳ぶしかねえ。跳べなくても知らねえ。

 

体力

試合があったのだが、やはりそのタイミングでの体力が結果を左右した。冷静な判断が問われる場面でもあったのだが、体力が残っていれば出来たことの方が多く悔しい気分だ。

 

最近は身体に害を与えないことが重要だと考えている。それは運動をしないということではなく、必然的に生まれてしまうストレスを害にまで貶めることないようにすることである。やりすぎや無茶は良くないってことだ。

 

体力を蓄えておくことが諸活動の原動力になることはこの身がいちばん理解している。体力はエネルギーであり、その操作は知力が担当する。エネルギーがあればたくさん操作実験できる。

 

夏休みのテーマは「体力」でいこうかな?と考えてみる。

膠着

昼に考えていたことも夜になるとすっかり消えてしまう。非常に勿体ない。

 

状況は依然として変わらず。来週までの準備もままならない。

 

否定形が多い。悲しい。

 

身体疲労が全てを台無しにしかねない。丁重にいこう。

 

これは焦りなんだろうか。ハードル走のイメージであるべき。